中居正広さんの女性トラブルに対応するフジテレビ社長の港浩一さん。
かつてフジの黄金期を支えた名プロデューサーでした。
とんねるずの木梨憲武さんにものまねされた「小港さん」として親しまれ、
数々のヒット番組を生み出してきました。
この記事では、
【画像】港浩一の若い頃がイケてる!中居正広やとんねるずとのフジテレビ最盛期?
と題して、2025年に72歳の元名プロデューサーの若い頃をさぐってみましょう。
フジテレビ全盛期を支えた港浩一の経歴
港浩一さんの輝かしい経歴について見ていきましょう。
優秀な学歴
北海道出身の港浩一さんは、1952年5月15日に生まれました。
地元の進学校として知られる北海道札幌西高等学校で学び、早稲田大学第一文学部へと進学します。
高い偏差値を誇る同学部での学びが、後のテレビ制作者としての創造性の基盤となりました。
(早稲田大学第一文学部は2006年に募集停止し、現在は早稲田大学「文化構想学部」と新「文学部」に再編されています。)
フジテレビに入社
1976年、港浩一さんはフジテレビへ入社します。
当初は制作現場を希望していましたが、人事部への配属となりました。
しかし、1980年の社内改編で制作部門が本社に復帰したことをきっかけに、念願の制作部へと異動することができました。
その後、『ドリフ大爆笑』のチーフアシスタントディレクターとして頭角を現し始めます。
制作の現場で実力を発揮した港浩一さんは、『ザ・ラストショー』でディレクターデビューを果たします。
秋元康さんと組んだこの番組を皮切りに、『夕やけニャンニャン』『オールナイトフジ』など、時代を象徴する番組の演出を手がけていきました。
*港浩一さんの詳しい経歴についてはこちらの記事をご覧ください。
港浩一とフジテレビ黄金期
ではここから、港浩一さんのフジテレビ黄金期の活躍についてみていきましょう。
「とんねるずのみなさんのおかげです」
フジテレビの黄金期を支えた番組『とんねるずのみなさんのおかげです』で、港浩一さんは総合演出・プロデューサーを務めました。
特に、石橋貴明さんと木梨憲武さんの持ち味を引き出す演出には定評があり、同番組は爆発的な人気を獲得します。
木梨憲武さんが「小港さん」としてものまねするほど、存在感のあるプロデューサーとして知られるようになりました。
放送作家やスタッフからの信頼も厚く、後にバラエティ制作センター担当局長としてフジテレビの番組制作の中心的存在となっていきます。
中居正広との関係性
中居正広さんが出演する番組でも、港浩一さんは数々の成功を収めます。
特に『中居正広の(生)スーパードラマフェスティバル』(2006年-2009年)では制作統括を務め、中居正広さんの持ち味を活かした演出で高い評価を得ました。
また、『FNS27時間テレビ』など大型特番の際には、ゼネラルプロデューサーとして中居正広さんとの信頼関係を築いていきます。
*港浩一社長の年収についてはこちらの記事をご覧ください。
フジテレビ社長に就任
2013年6月、港浩一さんは常務取締役(編成制作局バラエティ制作・アナウンス室・美術制作担当)に就任します。
その後2015年には共同テレビ代表取締役社長、2022年にはフジテレビジョン代表取締役社長に就任し、経営手腕を発揮していきました。
*港浩一さんの後輩プロデューサー中嶋優一さんについてはこちらの記事をご覧ください。
中居正広スキャンダルと社長としての対応
2025年1月、中居正広さんの女性トラブル問題で、フジテレビは大きな危機を迎えます。
スポンサー各社が広告出稿に難色を示し始め、港浩一さんは1月17日に緊急会見を開くことを決断。
通常2月に行われる定例会見を前倒しして実施することになりました。
この問題では、フジテレビの女子アナウンサーも関与していたとされ、港浩一社長の説明責任が問われています。
かつてバラエティ番組で信頼関係を築いていた中居正広さんとの関係性も問い直されることになってしまいました。
経営のトップとして困難な課題に直面する港浩一さんの手腕が、今また試されています。
*港浩一さんの詳しい経歴についてはこちらの記事をご覧ください。
*中居正広さんの女性スキャンダルについてはこちらの記事をご覧ください。