ジャーナリストとして活躍する伊藤詩織さんは、性暴力被害を実名で告発し、日本の#MeToo運動の先駆者となりました。
実はその活動の裏には、複雑な家族関係がありました。
この記事では、
伊藤詩織の家族構成が驚き!両親や妹とは関係決裂?生い立ちも独特!
と題して、両親や兄弟との確執、そして和解への歩みを詳しく見ていきましょう。
伊藤詩織の家族構成が驚き!

伊藤詩織さんは、1989年、神奈川県で3人兄弟の長女として生まれました。
5人家族ということですね。
父は建設業を営み、母は専業主婦として家庭を支えていました。
妹、弟との3人兄弟で育ち、特に妹とは「自慢のお姉ちゃん」と呼ばれるほど仲良しでした。
ただ世界的に活躍するジャーナリストになった伊藤詩織さんのご家庭としてはごく普通のご両親のようで、ちょっと驚きですね。

子供時代からの自立心の強さ
ただ伊藤詩織さんは、幼い頃から自立心が強く、周囲とは一線を画す個性的な子どもだったと言います。
9歳でモデルの仕事を始めるなど、早くから自分の道を切り開いていきました。
伊藤さんは美人ですから、子供の頃から目立っていたのでしょう。
しかもとてもしっかりとした意志のある子供だったということですね。
建設業の父と専業主婦の母
父親は建設業を営んでおり、伊藤詩織さんに
「社会と戦ったりするより、人間として幸せになってほしい」
と語りかけていたと言います。
父親としては、娘の普通の幸せを願ってしまうのかもしれませんね。
母親は専業主婦として家庭を守りました。
後に伊藤詩織さんが勝訴した際には
「褒めてあげたい」
と語るなど、娘の活動を理解しようと努めていました。
妹と弟との年齢差
伊藤詩織さんの妹さんと弟さんについて、詳しい年齢差は明らかになっていません。
伊藤詩織さんは妹とは特に親密な関係を築いていました。
ですが、性暴力被害の告発をめぐって、その関係は大きく変化することになります。
これはあとで詳しく解説します。
伊藤詩織の波乱の生い立ち

では伊藤詩織さんの自立心に富む生い立ちについて見ていきましょう。
4歳までの団地生活と独立心
4歳頃まで郊外の団地で過ごした伊藤詩織さんは、『ライオンキング』の世界観に憧れを抱くような想像力豊かな子どもでした。

幼い頃から
「いつかサバンナに行って、現地からレポートをしたい」
という夢を持っていたと言います。
小さい頃から海外に関心を持ち、ジャーナリストに憧れていたようです。
その後の活動の素地が幼い頃からあったということですね。
高校時代のアメリカ留学経験
自分に合う場所を求めて、伊藤詩織さんは高校時代にアメリカのカンザス州に留学します。
しかし、保守的で閉鎖的な地域での生活は、彼女が思い描いていたアメリカのイメージとは大きく異なっていました。
親の反対を押し切っての渡米だったため、帰国後もしばらくは孤独を感じることが多かったと語っています。
それにしても伊藤詩織さんの行動力のすごさは若い頃からで、すばらしいですね。
世界各国の大学を転々とした学生時代
学費を抑えながら学びを深めるため、伊藤詩織さんは様々な国の大学を転々としました。
日本の短期大学からドイツ、スペインを経て、ニューヨークの大学でジャーナリズムと写真を学び、その後イタリアへと留学しています。
「刺激的な遠回り」と自身で評する学生生活を送りました。
「伊藤詩織さんの経歴や学歴が怪しい」という声もありますが、
費用をかけずに学ぶために正規留学はしなかったということだったようですね。

性暴力被害告発で家族との関係に亀裂

伊藤詩織さんの性被害についての記者会見は家族にも大きな影響を与えました。
両親の反対
2017年、伊藤詩織さんが性暴力被害を実名で公表すると決意した際、両親は強く反対しました。
父親は、社会と戦わず一人の女性として平穏な生活を送ることを願っていました。
母親も当初は反対の立場でしたが、娘の苦悩を目の当たりにし、次第に理解を示すようになっていきました。
妹との決裂
特に親密だった妹は、記者会見に最後まで反対していました。
「お姉ちゃんの言っていることはわかる。これが大切なことで私や私の友達のためだということもわかる。でも、なんでお姉ちゃんがやらなきゃいけないの?」
と、姉を思う気持ちから不安が交錯していました。
弟との断絶
弟も姉の決断に反対の立場を示し、記者会見後はしばらく交流が途絶えることもありました。
家族の絆より社会正義を選んだように見える姉の決断を、なかなか受け入れることができなかったのです。
それでも記者会見した伊藤詩織の意志の強さが人並みはずれたものだということなのでしょう。
家族との和解への道のり

ですが家族との絆は修復されていきました。
転機となったのは、民事裁判の場で伊藤詩織さんが父親の姿を傍聴席で見かけたことでした。
父親は娘の証言を静かに見守り、その姿は伊藤詩織さんに大きな感動を与えました。
裁判の進行とともに、母親は次第に娘への理解を深めていきました。
勝訴後には「褒めてあげたい」と語り、家族の絆を取り戻したいという思いを示すようになっています。
現在も完全な和解には至っていませんが、少しずつ家族との関係修復が進んでいます。
裁判での勝訴を機に、母親は「少しずつ家族に戻って行きたい」という願いを語っています。
妹さんや弟さんとももとの仲の良い関係に戻っていくことを願いたいですね。
【まとめ】伊藤詩織の家族構成
伊藤詩織さん現在、ロンドンを拠点に、フリーランスのジャーナリストとして国際的な活動を展開しています。
自身の経験を活かしながら、社会の様々な課題に取り組んでいます。
家族との確執を乗り越え、新たな関係を築いていきたいという思いを持ち続けています。
時間はかかるかもしれませんが、少しずつ理解を深め合おうとしています。

一般的なご家庭に、伊藤詩織さんのように規格外のスケールをもった子供が生まれると、他の家族はとまどうこともあるのかもしれませんね。
ご家族が今後、穏やかに暮らされることを願いたいと思います。
とは言え、2025年2月には伊藤詩織さんが東京新聞の望月衣塑子記者を名誉棄損で提訴。
注目がまた集まっています。

望月衣塑子さんについてはこちらの記事をご覧ください。
