横浜高校のエース・奥村頼人さんの家族構成が注目を集めています。
父親の奥村倫成さんも滋賀県で高校野球指導者。
そんな野球一家に生まれた頼人さんは、滋賀県彦根市から遠く離れた横浜高校へ進学しました。
この記事では、
奥村頼人の家族構成すごい!父は高校野球監督で前田悠伍が親戚?【2025】
と題して、奥村頼人さんの家族構成から、前田悠伍さんとの親戚関係や「頼人(らいと)」という名前の由来など家族の物語を掘り下げていきます。
奥村頼人のプロフィールと家族構成

横浜高校のエースナンバー「1」を背負う奥村頼人さんは、滋賀県彦根市の出身です。
家族構成は、父と母で、兄弟がいるかどうかは情報がありません。
おそらく一人っ子なのではないでしょうか。
- 父親は滋賀県立八日市高校野球部の奥村倫成監督で、元野洲高校監督としてドラマ「下剋上球児」にも登場しました。
- 母親は奥村いつ子さんで、息子の試合を滋賀県から毎回応援に来ています。
- ソフトバンクに入団した前田悠伍選手と親戚関係です。
学歴は彦根市立高宮小学校から彦根市立東中学校を経て横浜高校に進学。
小学1年から野球を始め、小学6年で阪神タイガースジュニア、中学時代は滋賀野洲ボーイズでプレーしていました。
これから奥村頼人さんの家族構成に詳しく迫っていきましょう。
*中学時代は、東洋大姫路に行った阪下漣さんとプレーも!こちらの記事をご覧ください。

父・奥村倫成も高校野球界の名将

奥村頼人さんの父親・奥村倫成さんは、滋賀県の高校野球界で知られた指導者です。
長く野洲高校の監督を務めました。
部員が少なくグラウンドの環境も良くない状態から部員80名のチームを作り上げ、
夏の滋賀県大会の決勝まで進出させた実績を持っています。
現在は八日市高校の監督として指揮を執っています。
奥村倫成さん自身、伊香高校、国士舘大学を通じて外野手として活躍した経歴を持ち、右投げ両打ちの選手でした。
奥村頼人さんの名前には、そんな父親の野球人生が深く関わっています。
「父が現役時代にライトを守っていたから、自分の名前も頼人(らいと)にしたと聞いています」

と奥村頼人さん自身が語っています。
また、「頼られる人になってほしい」という願いも込められているそうです。
まさしく横浜高校のエースとして頼られる存在になっていますね。
*横浜高校の後輩、織田翔希さんについてはこちらの記事をご覧ください。

母・いつ子は試合観戦皆勤
母の名前はいつ子さんです。
息子の雄姿を目に焼き付けるために、車や新幹線を使ってスタンドへ足を運び続けてきました。
奥村頼人はそんなお母さんの気持ちを理解して、
「勝つことが一番喜ぶと思うので、勝って少しでも長く試合を見せられるように」

とはにかみながら語っていました。
お母さんの期待に応える息子の強い意志がうかがえますね。
奥村頼人と前田悠伍(ソフトバンク)との親戚関係

奥村頼人さんは、2023年ドラフト1位でソフトバンクに入団した前田悠伍さん(大阪桐蔭高校出身)と親戚関係にあります。
前田悠伍さんは滋賀県長浜市の出身で、両家には深いつながりがありました。
奥村頼人さんによると
「父と前田投手の父は、伊香高校時代のチームメートです。前田投手の母は、父の後輩にあたります」

と説明しています。
つまり、親戚関係があるだけでなく、野球でのつながりも深いのです。
中学時代、前田悠伍さんは湖北ボーイズに所属していました。
奥村頼人さんは「同じチームも考えましたが、対戦してみたいと思いました」と滋賀野洲ボーイズに入団。
「1年時、春先の練習試合で前田投手と投げ合い、2対1で勝つことができたんです」
と、親戚同士で切磋琢磨していた様子を語っています。
お互いに良い刺激になる関係なのではないでしょうか。
*中学時代から知っている阪下漣さんとも今も良きライバルのようです。

奥村頼人の経歴と実力

横浜高校のドラフト候補・奥村頼人投手は左投げ左打ちの有望株です。
2007年9月8日生まれで滋賀県彦根市出身、小学1年から野球を始め、高宮少年スポーツ団で基礎を築きました。
小学6年では阪神タイガースジュニアに選抜され、中学時代は滋賀野洲ボーイズでプレー。
「野球選手としてだけでなく一番成長できる環境」を求めて横浜高校に進学しました。

高校では1年春からベンチ入り、秋から背番号1を背負い、2年秋には最速146km/hのストレートと多彩な変化球で活躍。
明治神宮大会では公式戦34回1/3を投げて自責点わずか1という驚異的な成績で、横浜高校を27年ぶり2度目の優勝に導きました。
将来の夢はプロ野球選手で、ドラフトでも注目が集まるでしょう。


