成宮寛貴さんは、2016年12月に芸能界から突如として姿を消しました。
週刊誌報道をきっかけに引退を決断してから8年の歳月が経ち、
2024年11月に本名の平宮博重として芸能界復帰を発表。
復帰第一作となるABEMAのオリジナルドラマ「死ぬほど愛して」の主演が決定し、注目を集めています。
この記事では、
成宮寛貴の引退理由って何したの?プライバシー暴露の裏切りの真相!
と題して、引退の真相から8年間の空白期、そして華々しい復帰までの軌跡を、最新インタビューから紐解いていきます。
成宮寛貴の電撃引退の真相と理由

大活躍だった成宮寛貴さんの引退の理由にせまってみましょう。
引退理由はセクシュアリティのプライバシー暴露
2016年12月9日、成宮寛貴さんは所属事務所を通じて突然の芸能界引退を発表しました。
当時34歳、ドラマ「相棒」の好演で高い評価を得ていた矢先の出来事でした。
多くのファンがとても驚きショックでした。
引退の背景には、一部週刊誌による報道が関係していました。
成宮さんは直筆のコメントで

「心から信頼していた友人に裏切られ複数の人達が仕掛けた罠に落ちてしまいました」
と引退の真相を明かしています。
大変につらい状況だったと想像されます。
このメッセージによれば、成宮寛貴さんが引退を決断した大きな理由は、
- プライバシーに関する報道への不安
- 自身の性的指向が暴露されることへの恐怖
- 関係者や身内に迷惑をかけたくない
というものでした。
「この仕事をする上で人には絶対知られたくないセクシャリティな部分もクローズアップされてしまい」と、当時の苦悩を語っています。
ですから、プライバシーが暴露されたことが大きな引退理由として説明されています。
薬物使用疑惑の報道を否定
さらに成宮寛貴さんは薬物使用疑惑も報道されました。
だたこれに対しては全面的に否定しています。
検査もして、薬物反応は出ていなかったと公表しています。
「複数の人たちが仕掛けた罠に落ちました」というメッセージと関係しているのかもしれませんね。
このように、納得できない報道が続き、成宮寛貴さんは芸能界と縁を切ることにしたのでした。
8年間の空白期間は成宮寛貴は何をしていた?

このように芸能界から消えることを望んだ成宮寛貴さんでしたが、復帰までの8年間の間、何をしていたのでしょうか?
引退後、成宮さんはトランク1つで海外へ渡りました。
アジア、アメリカ、ヨーロッパ各国を転々としながら、新たな価値観や生き方を模索します。
「使えるお金も限られている中で、生活もトランク一つで事足りた。それに気づくと、モノって何?生活って何?と考えるようになりました」
と、価値観の変化を語っています。

ヨーロッパ滞在中には、フィンガーペインティングと出会い、創作活動に没頭します。
「自分の好きな色彩で自由に発想し、描いていくことがとても心地よかったんです」と、アートを通じた自己表現との出会いを振り返っています。
また海外滞在中に新しいビジネスを模索していたとも伝えられています。
成宮寛貴にとって、日本を離れて新しい自分と向かい合った8年間だったのではないでしょうか。
芸能界復帰への決断

それでも成宮寛貴さんは芸能界に復帰を決意しました。
どのような経緯だったのでしょうか?
復帰の理由
2024年9月、本名の平宮博重さんとして芸能界復帰を表明します。
8年の時を経て、新たなスタートを切る決意を固めました。
同年11月には大阪・住之江競艇場でのトークショーに登場し、公の場で初めて復帰について語りました。
なんと!! 本日のスペシャルイベント
#成宮寛貴 さんのトークショーが行われました! めちゃくちゃかっこよかった~
「8年ぶりに俳優の仕事を再開しました」という言葉に、会場からは大きな拍手が沸き起こりました。
平宮さんは新たな決意と共に俳優としての道を再び歩み始めることを選択したのでした。
一説では、芸能界引退後にビジネスを立ち上げようとしたけれど、うまくいかなかったと言われています。
やはり芸能界で求められていることから、復帰を決意したのかもしれませんね。
復帰第一作ABEMAドラマの見どころ
復帰作となるのは、ABEMAの配信ドラマ「死ぬほど愛して」。
成宮寛貴さんは家庭では理想の夫を演じる殺人鬼・神城真人役を演じます。
「真人は殺人鬼である一方で、とても魅力的で女性をとりこにしてしまう男性です」
と、役柄について語っています。
ミステリアスな雰囲気が成宮さんにあっていて、復帰第一作にぴったりですね。
共演する瀧本美織さんとの初共演でも、制作陣を驚かせる圧巻の演技を披露。
「真人のバックボーンが回想シーンでたくさん出てきますので、それが今の真人に影響しているのか、していないのかなどを考察しながら見ていただけるとうれしいです」
と、作品への思いを語っています。
瀧本美織さんともお似合いで、原作の雰囲気がそのままですね。
「さまざまな視点で何回見ても楽しめる作品だと思います」と自信を見せる成宮さん。
「真実はどこにあるのか。ぜひ思いを巡らせながらご覧ください」と、視聴者へのメッセージを送っています。
*復帰作「死ぬほど愛して」について詳しくはこちらの記事をご覧ください。
成宮寛貴の生い立ち:母の死と弟

成宮寛貴さんが芸能界に入った理由には、辛い生い立ちがありました。
成宮寛貴さんは、1982年9月14日に東京都に生まれました。
母子家庭で育ち、14歳で母親を亡くしました。
そして中学生の時から弟の面倒を見ながら引越し屋や運送のアルバイトで生計を立てていました。
弟さんを育てるために仕事をする必要があったのです。
そして「中卒の自分に何ができるか」と考え、芸能界入りを決意。
2000年、宮本亜門さん演出の舞台『滅びかけた人類、その愛の本質とは…』で俳優デビューを果たします。
2002年にドラマ『ごくせん』の野田猛役で注目を集め、『オレンジデイズ』『相棒』など数々の話題作に出演しました。

演技力の高さから「実力派若手俳優」として評価を受け、2005年にはエランドール賞新人賞を受賞しています。
このように芸能界で成功し、弟さんを有名私立大学に入学させることができました。
弟さんは今も兄の成宮寛貴さんに深く感謝しています。
芸能界に復帰後の成宮寛貴さんの新しい活躍に期待したいですね。
*成宮寛貴さんの役柄についてはこちらの記事もご覧ください。
