横浜高校野球部から甲子園で活躍して、注目を集めている織田翔希さん。
明治神宮大会では圧巻のピッチングを披露し、多くの野球ファンの目を惹きつけています。
この記事では、
織田翔希の中学校どこ?横浜高校に入学するまでの経歴や家族構成を解説!
と題して、織田翔希さんの出身中学校や小学校、そして家族構成や将来性についてご紹介します。
織田翔希の中学校はどこ?

2025年春の選抜で大注目の織田翔希さんの中学校はどこでしょうか?
プロフィールにせまってみましょう。
織田翔希の基本情報
織田翔希さんは、2008年6月3日生まれの16歳(2025年3月現在)です。
身長は187cm、体重76kgという恵まれた体格の持ち主です。
右投げ右打ちの本格派投手で、最高球速は150km/hを超えています。出身地は福岡県北九州市小倉北区です。
北九州市立足立中学校での活躍

足立中学校軟式野球部では1年春からベンチ入りし、投手兼一塁手、遊撃手として活躍しました。
秋季全日本少年軟式野球福岡県大会ベスト8、福岡県中学校新人軟式野球大会ベスト4など、数々の好成績を残しています。
中学3年時には、全国中学校軟式野球大会で最速143キロを記録。
この快挙により「佐々木朗希2世」と呼ばれるようになりました。
三萩野バッティングセンターでは投球スピードランキング中学生の部で2度も1位を獲得するなど、早くから頭角を現していました。
*佐々木朗希さんについてはこちらの記事をご覧ください。

織田翔希の小学校時代

織田翔希さんは小学生の頃から注目されていました。
織田翔希さんは北九州市立足立小学校出身です。

小学1年生から「足立クラブ」で軟式野球を始め、投手兼内野手として活躍しました。
小さい頃から野球に打ち込み、基礎を着実に積み上げてきた努力家です。
小学6年生(2020年)には、北九州サンデー選抜レッドスターズの選手として選出されました。
足立クラブは2020年開催の北九州市学童プレミアム軟式野球大会で優勝するなど、実力のあるチームで野球の腕を磨きました。
小学生の頃から、北九州のトップ選手だったということですね。
そして全国レベルに進んでいったのでした。
名門・横浜高校への進学と高校での活躍

織田翔希さんは地元、北九州を離れて、横浜高校に進学します。
なぜ福岡から横浜へ?
福岡県出身の織田翔希さんが横浜高校を選んだ理由は、技術面のみならず人間的成長も大切にする横浜高校のカラーに惹かれたからだと言われています。
松坂大輔さんを始め、多くの名投手を輩出してきた名門校での成長を目指しました。
*先輩の奥村頼人さんは滋賀県彦根市から横浜高校へ!こちらの記事をご覧ください。

150キロ超えの本格派右腕
横浜高校入学後、織田翔希さんは春の神奈川大会準決勝・東海大相模戦で先発するという大役を務めました。
夏の神奈川大会準決勝では武相戦でリリーフ登板し、最速147キロのストレートで4イニング完全投球を披露。
その活躍ぶりは多くのプロスカウトの目を引きました。
2024年の明治神宮大会では、四国王者の強豪・明徳義塾を2安打完封。
初めての全国大会での活躍は鮮烈で、ネット裏に陣取ったスカウト陣も色めき立たせました。
150キロを超える直球とチェンジアップなどの変化球を巧みに使い分ける投球術は高校1年生とは思えない完成度です。
織田翔希の家族構成

すごい活躍の織田翔希さんの家族はどのような人たちなのでしょうか?
織田翔希さんの野球人生を支えてきたのは、両親の存在があったからこそ。
小学1年生から野球を始め、福岡県から神奈川県の高校に進学するという決断も、ご両親の理解と協力があったからこそ実現したものでしょう。
織田翔希さんの家族について詳しい情報は公表されていません。

ただ、中学時代にお世話になった三萩野バッティングセンターからのメッセージのなかで、
「これまでサポートしてきてくれたご両親に感謝を忘れずに」
と記されています。
つまり、ご両親の温かい支えが彼の成長に欠かせない要素だということですね。
織田翔希の目標と将来性

織田翔希さんは「横浜一強時代を築く」という高い目標を掲げています。
自身の成長だけでなく、チーム全体の躍進を目指す姿勢が伺えます。
そして横浜高校への強い愛情も感じられますね。
プロ野球スカウトからは「松坂二世」と評される織田翔希さん。
西武のスカウトは「素晴らしい素材」と評価しています。
ヤクルトのスカウトも「順調に伸びれば3年生で150キロを普通に投げる」と将来性を絶賛しています。
織田翔希さんは横浜高校村田浩明監督の指導のもと、キャッチボールを見直すなど基礎から徹底的に鍛え直しています。
今後のさらなる成長と活躍に期待が高まります。

*ライバルの健大高崎の佐藤龍月さんについてはこちらの記事をご覧ください。
