曽野綾子の家族構成すごい!夫の三浦朱門と炎上発言?息子は大学教授で嫁は作家!

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2025年2月28日、93歳で老衰のため亡くなった作家・曽野綾子さん

「誰のために愛するか」や「神の汚れた手」など数々のベストセラーを生み出した文学者ですね。

しかもその家族構成も豪華で話題になってきました。

この記事では、

曽野綾子の家族構成すごい!夫の三浦朱門と炎上発言?息子は大学教授で嫁は作家!

と題して、文学・文化一家と言える曽野家の知られざる姿に迫ります。

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目次

曽野綾子の家族構成とは?夫は三浦朱門!

曽野綾子 三浦朱門

曽野綾子さんの家族構成は、夫の三浦朱門さんと一人息子の三浦太郎さんです。

三浦太郎さんの結婚相手、曉子さんがお嫁さんということになります。

曽野綾子と三浦朱門の文学的な出会い

曽野綾子さんと作家の三浦朱門さんの出会いは、やはり文学の世界でした。

曽野綾子さんは22歳だった1951年、文芸誌の『新思潮』に加わりました。

曽野綾子

このサークルで、当時から文学的アドバイザーでもあった三浦朱門さんと意気投合し、1953年に結婚したのでした。

曽野綾子さんは23歳で「遠来の客たち」が芥川賞候補となり、文壇デビューを果たしました。

この頃には、すでに二人三脚の文学生活が始まっていたのです。

発言でトラブル

三浦朱門さんは、過激な意見を述べることで知られ、騒動になることも少なくありませんでした。

例えば、教育課程審議会会長として

「出来ん者は出来んままで結構、100人中2~3人はいるはずのエリートを伸ばす」

「魚屋の息子が官僚になるようなことがあれば本人にも国民にとっても不幸になる」

とエリート主義的な発言をして、物議をかもしました。

曽野綾子さんの発言もしばしば議論を呼びましたが、夫の三浦朱門さんと近い意見だったようです。

特に話題になったのがこちらの3つの発言です。

  1. 人種差別: 曽野さんは過去に「居住区だけは、白人、アジア人、黒人と分けて住む方がいい」と述べたことがあり、これは人種的な差別や偏見を助長するとして批判されています。
  2. 高齢者の長寿批判: 彼女は「高齢者は適当な時に死ぬ義務を忘れてしまっていませんか?」と発言しています。この発言は彼女の高齢者に対する厳しい見解を示しており、社会的な責任と個人の尊厳を巡る議論を引き起こしています。
  3. 女性蔑視と性暴力肯定: 曽野さんはレイプされるのは女にも責任がある」と述べたことがあるとされています。これに関連して、夫の三浦朱門も「強姦する体力がないのは男として恥ずべきこと」と述べており、この夫妻の性に対する価値観は大きな論争を呼んでいます。

曽野綾子さんの発言は伝統的で保守的なため、現代の価値観とはギャップが大きく、炎上してしまったのでしょう。

おしどり夫婦

曽野綾子 三浦朱門

曽野綾子さんと三浦朱門さんは、60年以上にわたって互いの創作活動を尊重し合いながら夫婦生活を送りました。

お互いの作品に対する批評や助言を交わしながら、それぞれの文学的個性を磨いていったのです。

三浦朱門さんの

「妻をめとらば曽野綾子」

という有名なセリフは、おしどり夫婦のシンボルのようですね。

曽野綾子さんは夫・三浦朱門さんの死後、「夫の後始末」を執筆しました。

長年連れ添った伴侶との別れを冷静に受け止める姿勢が多くの読者の共感を呼びました。

曽野綾子の息子・三浦太郎

三浦太郎

「太郎物語」のモデルとなった実在の息子

曽野綾子さんと三浦朱門さんの一人息子である三浦太郎さんは、1955年1月に生まれました

曽野綾子さんのベストセラー「太郎物語」シリーズのモデルとなったことでも知られています。

高校編、大学編と続いたこのシリーズは、実在の息子・三浦太郎さんの成長を題材にした青春小説として多くの読者に愛されました。

母親の視点から描かれた息子の姿は、フィクションを交えながらも、親子の絆を感じさせる作品となっています。

文化人類学者としての活躍と業績

三浦太郎さんは南山大学文学部人類学科を卒業後、同大学院で学び、文化人類学者の道を歩みました。

フィリピンのイスラーム社会やスールー王国、遊牧文化の視点からの北京市分析など、独自の研究テーマで活躍しています。

英知大学(現:聖トマス大学)教授を経て、中部大学教授を務めました。

学術活動のみならず、競馬評論なども行うなど、多彩な才能を発揮しています。

曽野綾子の嫁・三浦暁子

三浦暁子

では、曽野綾子さんの息子の妻、三浦暁子さんについて見ていきましょう。

エッセイストとして活躍

1956年11月生まれの三浦暁子さんは、静岡県出身のエッセイストです。

上智大学文学部史学科を卒業後、1980年に三浦太郎さんと結婚しました。

主に恋愛論・結婚論を中心としたエッセイを執筆してきましたが、近年は人物評伝も手がけています。

自身の経験に基づいた作品を多数発表し、読者の共感を得ています。

三浦曉子さんと三浦朱門さんとの共著『家族はわかり合えないから面白い』もあります!

『太郎の嫁の物語』に描かれた義母・曽野綾子との関係

2023年に刊行された『太郎の嫁の物語』で、三浦暁子さんは義母である曽野綾子さんとの関係を詳細に綴っています

大学在学中に三浦太郎さんと結婚した三浦暁子さんにとって、強烈な個性を持つ義母・曽野綾子さんとの関係構築は簡単ではなかったようです。

ですが、「家族として愛してもらうには、こちらから好きになればいい」という思いで接し、

50年にわたる義母との思い出を大切にしてきました。

この作品では、嫁の視点から見た文豪一家の姿が生き生きと描かれています。

曽野綾子夫婦のトラブルや評判

曽野綾子 三浦朱門

曽野綾子さん夫婦は、日本の文学界において独自の存在感を放ってきました。

曽野綾子さんと三浦朱門さんはそれぞれ文化功労者に選ばれています。

三浦朱門さんは日本芸術院院長も務めるなど、文化人として高い評価を受けていました。

また、曽野綾子さんは2012年に菊池寛賞を受賞するなど、その文学的業績は広く認められています。

そろって文筆業に携わる珍しい夫婦として、メディアでも注目を集めてきたのです。

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